長崎地方裁判所佐世保支部 昭和59年(わ)163号 判決 1985年11月06日
主文
被告人Aを懲役九年に、同Bを懲役八年に、同Cを懲役六年に、同Dを懲役五年に、同Eを懲役三年に処する。
被告人らに対し未決勾留日数中各三七〇日をそれぞれその刑に算入する。
被告人Eに対し、この裁判確定の日から五年間その刑の執行を猶予し、右猶予の期間中同被告人を保護観察に付する。
被告人Eから長崎地方検察庁佐世保支部で保管中の漁船太平洋丸一艘(昭和五九年検領第二五九号の16)を、被告人A及び同Bから押収してある回転弾倉式拳銃一丁(昭和五九年押第五四号の1)及び自動装填式拳銃一丁(同号の3)並びに同検察庁支部で保管中の実包六発(前同検領号の2)及び実包一発(同号の72)をそれぞれ没収する。
訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。
理由
(被告人らの経歴等)
一 被告人A(以下「A」ともいう。)は、昭和五一年ころから壱岐郡勝本町勝本浦<番地省略>所在の住居兼店舗(以下「A方」という。)でスナツク喫茶「月」を経営し、昭和五三年ころからは同所で金融業をも営んでいたが、福岡市中央区一丁目所在の花ビル内に事務所を置く暴力団山口組系y組内f会の会長F(以下「F」という。)が同郷の出身で高校の三年先輩であつたことから同人と交友するようになり、昭和五九年一月ころには同人の舎弟分となつていた。
二 被告人D(以下「D」ともいう。)は、昭和五七年ころそれまで勤めていた福岡市内の運送会社が倒産したため壱岐郡勝本町勝本浦<番地省略>所在の実家に帰郷したが、定職にはつかず、時折漁業などに従事していたところ、昭和五八年一一月ころより被告人Aとの交友が始まり、昭和五九年一月ころからは被告人Aの金融業の手伝いをするようになつていた。
三 被告人C(以下「C」ともいう。)は、昭和三九年ころ下県郡厳原町に船舶電気機械の修理販売を業とするC電機店を設立して経営を始め、昭和四八年ころまでに壱岐郡勝本町所在の壱岐店の外二店舗を開店させたものの、しばらくして経営不振となり、昭和五二年には厳原店の外二店舗を閉めて壱岐店のみを経営するようになつたが、そのころから前記スナック喫茶「月」の客として被告人Aと知り合い、昭和五九年二月ころからは同被告人に手形割引の依頼などもしていた。
四 被告人E(以下「E」ともいう。)は、昭和四八年ころから漁師となり勝本港沖で主としてイカ漁に従事していたが、漁船の修理をC電機店に依頼するなどしたことから被告人Cを知るようになり、昭和五七年にジュラルミン製のイカ釣漁船「太平洋丸」を新造した際には同被告人から種々の助力を受けていた。
五 被告人B(以下「B」ともいう。)は、昭和三八年三月に中学校を卒業して後、左官や漁師をはじめとして数回にわたつて職を変えていたが、昭和五二年一一月に長崎地方裁判所厳原支部で暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役一〇月に処せられ福岡刑務所に服役した際、同刑務所内でFと知り合い、昭和五六年一一月ころにはf会の若中となり、昭和五八年一二月には同会の幹事長補佐となつたが、被告人Aとは同年五月ころFの紹介で知り合うようになつた。
(犯行に至る経過、共謀の経緯)
一 被告人Cは、昭和五七年ころから壱岐や対馬の漁師が密輸出の手伝いをして多額の報酬を得ていることを聞き、昭和五八年八月ころになつて自らも漁師らを使つてその手伝いをして金儲けをしようと計画し、貴金属商をしているGに声をかけていたところ、昭和五九年二月ころ同人よりH(以下「H」という。)を紹介され、Hから密輸出のために船と船頭を手配してくれるよう依頼されたため、漁船「太平洋丸」を持つ被告人E、同「瀬戸内丸」を持つI(以下「I」という。)及び同「日本海丸」を持つJ(以下「J」という。)の漁師三名を使つてHの密輸出の手伝いをすることとし、同年三月一〇日ころ太平洋丸を用いて被告人E及びIとともに、同月一七日ころ日本海丸を用いてJ外一名とともに対馬の豆酘灯台沖でH、K(以下「K」という。)及びL(以下「L」という。)らによる密輸出の手伝いをなし、報酬として一回宛六〇万円を受け取り、被告人Eらとの間で分配した。
被告人Cは、Hらの密輸出を二度にわたつて手伝つたことにより、その取引が天気さえ良ければ月平均五回位はあること、取引の内容は金塊や鹿の角の韓国への密輸出であり、一回の取引の規模は約二億円で、Hらは取引の都度その代金を日本円の現金で受け取つていること、取引の場所は対馬の豆酘灯台沖であり、被告人Cらの手伝いの内容はHらと積荷を佐賀県東松浦郡の呼子港で乗せて取引現場まで運び、取引終了後壱岐の港まで乗せて帰ることであることなどの事実を知つた。
被告人EやI、Jらは、当初、被告人Cより右の仕事の内容は釣客の運搬であると聞いていたが、Hらの右取引現場に立会つたことでその仕事が韓国への密輸出の手伝いであることを知るに至つた。
二 被告人Aは、昭和五九年三月下旬ころ被告人Cが韓国への密輸出に関与しているとの噂を聞き、同月三一日ころ同CをA方に呼び寄せた際、被告人D同席の場で、被告人Cより、同Cらが手伝つているHらの密輸出の話を聞き、その密輸出の機会にHらを襲撃して同人らから密輸出の荷の金塊等又はその代金の現金などを強取して金儲けをしようと計画し、被告人C及び同Dに対してその計画を話して強取の仲間に加わるよう誘つたところ、同C及び同Dは、いずれもこれを承諾したが、被告人Aは、Hらから二億円にものぼる金品を強取するにしても同人らの背後に暴力団組織がついていたり、同人らが拳銃を所持していたりするかも知れないとの不安から、襲撃や襲撃後の身の安全の確保のために是非とも暴力団f会の力を借りようと考え、そのころFに対して電話をしてその協力を要請した。
被告人Aは、同年四月一日ころA方において被告人C及び同D同席の場で、Fに対し、右強取計画を話してこれに対するf会の協力を要請したところ、Fは、被告人Aらに対し、襲撃の際に必要な人間の数や拳銃などを手配すること、金塊を強取する場合にはその換金方を引き受けること、襲撃後の被告人Aらの身の安全はf会で守ることなど同Aらの右強取計画に対する全面的な協力を約束したため、ここにおいて右強取計画を実行に移すことを決意したうえ、Fに対し、右強取による儲けの半分を同人の分け前として渡し、その余は被告人Cと自分で折半し、同Dの分は自分の方で考えている旨話して儲けの分配割合について同人の了解を求め、同人もこれを承諾した。被告人A、同C、同D及びFは、その際、強取計画について話し合い、その強取の目的物を金塊にするか現金にするかなどを検討したが、意見はまとまらなかつた。なお、そのころまでに、被告人Aは、同Dに対し、右強取の分け前として一〇〇〇万円をやる旨約していた。
三 同年四月四日ころには呼子港において、被告人A、同D及びFが、Fの弟分にあたる暴力団m会会長N及びその若衆一名とともに同港がHらを襲撃する場所として適当かどうかについての下見をするなどし、同月七日ころにはA方において、被告人A、同C及び同Dが、同月一二日ころには壱岐郡郷ノ浦町所在のスナツク「雪」において、被告人A及びFが、同月一五日ころにはA方において、被告人A、同C及び同Dが、それぞれ強取計画について話し合つた結果、強取の目的物は現金とし、襲撃の際には拳銃を使用して脅すことなどがほぼまとまり、同月一七日ころにはf会事務所において、被告人Aが、Fに対し、襲撃に加わる仲間として被告人Bを貸してくれるよう依頼してその承諾を得、そのころ、被告人Bに対し、強取計画を話してその実行を手伝つてくれるよう依頼し、被告人Bはこれを承諾した。
四 同月二〇日ころにはA方において、被告人A、同C及び同Dが強取計画について話し合つた結果、襲撃当日Hらを乗せて密輸出の手伝いをさせる船は被告人Eの太平洋丸とすることを決定するとともに、すぐさまA方に被告人Eを呼び寄せ、主として被告人Aにおいて同Eに対し、強取計画を話すとともに、「Eは船を貸すだけであとは関係ない、何かあつても知らんで通せばいい、船のチャーター料として六〇万円くらい分けてやる」などと言つて当日のHらの密輸出の手伝いに太平洋丸を使いたいから同船を貸してくれるよう要請したところ、被告人Eはこれを承諾した。被告人Eは、いつたんは被告人Aらの強取計画に積極的に加担してより多くの分け前をもらおうと考えたものの、その後、同Aらに自分の船を貸せば自分の身にも危険が及ぶと考え、数日後、被告人Cに対し、先の承諾を撤回して太平洋丸は貸せない旨伝えたが、同Cはこれに応じなかつた。ところが、同月二三日ころになつて、被告人Aが、同Cらとともに、同Eに対し、「お前は度胸もなかけん、もうやめろ」などと言つて強取計画から抜けるよう勧めたため、同Eはこれに従つて右計画から離脱した。
五 その後、同月二四日ころと同月二八日ころの二回にわたつて、A方において、被告人A、同C、同D及び同Bが強取計画について話し合つた結果、襲撃は人気の少ない壱岐郡勝本町所在の通称タンス港で行なうこと、Hらを乗せて密輸出の手伝いをする船には被告人Cと同Dが乗船し、操船は同Dにおいてなし、密輸出の取引終了後は船をタンス港に入れること、船は被告人Cが同Eの船以外をチャーターすること、被告人Aと同Bはタンス港で待ち伏せしてHらを襲撃し、その襲撃には拳銃二丁を脅しのため使うこと、襲撃の際の応援としてf会から若衆二、三名を借りることなどの方針が決められた。なお、そのころまでに、被告人Aは、同Bに対し、右強取の分け前として五〇〇万円をやる旨約し、また、同Dに対しては、従前の約束を変えて生涯月々二〇万ないし三〇万円の給料をやつて面倒を見る旨約していた。
六 同年五月六日になつて、被告人Bは、Fより、実包が装填されている自動装填式と回転弾倉式の二丁の拳銃を被告人Aに渡すよう指示されて受け取り、同日A方において同Aに対しこれを渡した。そして、同日午後七時ころには、被告人Cの許にHから、翌日に密輸出の取引をなすから船と船頭を手配してほしい趣旨の連絡が入り、更に、翌七日午後二時すぎころ、同Cの許に再びHから連絡が入り、同日は午後一一時に船を呼子港に廻してほしい、船はできればジュラルミン製の船を頼む旨の指示がなされたため、同Cは、Hらは被告人Eの太平洋丸を指定したものと受け取り、再び同Eの船を使用しようと考え、急いで同Eとその船を探したが、同Eは当時出漁中であつたため、なかなか連絡がとれなかつた。被告人Eは、同日午後五時すぎころ出漁先で、船舶無線で勝本港へ戻るよう連絡を受けて急ぎ勝本港に向かう途中、再び無線で呼んでいるのは被告人Cであると聞き、同日午後九時三〇分ころ勝本港に入港して直ぐにC電機店に赴いたところ、同所で同Cと同Aより、翌日にHらの密輸出がなされ、被告人Aらがこれを襲撃することを聞かされ、そのため太平洋丸を貸してくれるよう再び執拗に要請されたため、同Cや同Aに対するこれまでの恩義などからやむなくこれを承諾した。被告人A、同C、同D及びBは、同日A方で、強取計画について最終的な打合せをなし、Hらの密輸出の荷が金塊であれば船をタンス港に入れて前記方針のとおり襲撃すること、Hらとともに船に乗船する被告人Cや同DがHらに疑われないように、同Aが同Cを殴る真似をすること、Hらを威嚇するために回転弾倉式拳銃の実包を一発発射することなどを決めたうえ、Hらを乗せた船のタンス港への入港は翌八日午前一〇時前後ころになることを確認した。
七 被告人Cと同Dは、同月五月七日午後一〇時すぎころ太平洋丸に乗船して勝本港を出港し、翌八日午前零時ころ呼子港に到着し、同港でH、K及びL並びに密輸出の荷である金地金七四・三二キログラムを載せ、同午前零時半ころ同港を出港し、後記判示第四のとおり右金地金の密輸出を行つた。
被告人Aは、同月七日午後一〇時すぎころFに対して電話をなし、翌八日の襲撃のために応援を二名ほど派遣してくれるよう要請したところ、Fはこれを承諾し、f会幹事Oと同若中Pの二名を派遣する旨約した。被告人A、同B及び同Eは同日A方に泊まり、翌八日には、同Eは午前七時ころから同Aの指示により後記判示第三記載の行為をなし、同Aと同Bは午前九時二〇分すぎころまでにタンス港において、同Aが同港岸壁に係留した大西洋丸の中に、同Bが同岸壁付近の路上に停車した逃走用普通乗用車の中にそれぞれ隠れて太平洋丸が入港してくるのを待ち伏せしていた。
(罪となるべき事実)
第一 被告人A、同C、同D及び同Bは、Fと共謀のうえ、H(三三歳)、K(四四歳)及びL(二七歳)らが金地金の密輸出の取引によつて得た巨額の現金を強取しようと企て、昭和五九年五月八日午前九時三〇分ころ、壱岐郡勝本町○○所在の通称タンス港岸壁において、被告人C及び同Dにおいてかねて打合せどおり密輸出を終えて同港に寄港し同岸壁に接舷した漁船太平洋丸(長崎地方検察庁佐世保支部昭和五九年領第二五九号の16)の甲板上のH、K及びLに対し、被告人Aにおいて実包を装填した回転弾倉式拳銃(昭和五九年押第五四号の1)を、同Bにおいて実包を装填した自動装填式拳銃(同号の3)をそれぞれ突きつけ、同Aにおいて「お前ら撃つぞ、手を上げろ、金をやれ、クーラーを置け、殺すぞ」などと、同Bにおいて「お前ら動くな、動いたら撃つぞ」などとそれぞれ怒号して脅迫し、Hらの反抗を抑圧したうえ、太平洋丸の甲板上に置いてあつたH所有にかかる現金約一億一七〇〇万円在中の大型釣用クーラー一個(時価五〇〇〇円相当)(以下「大クーラー」という。)及び現金約一億円在中の小型釣用クーラー一個(時価約四〇〇〇円相当)(以下「小クーラー」という。)のうち、被告人Aにおいて小クーラーを、同Bにおいて大クーラーをそれぞれ強取し、右岸壁から約三〇メートル離れた場所に停車させ逃走用に用意していた普通乗用自動車に積み込んで逃走しようとしたが、被告人Aは一足早く右自動車に小クーラーを積み込んでその運転席に乗り込み同車を直ちに発進させたものの、同BはHら三名に追いかけられ逮捕されそうになつたため、大クーラーを路上に放置して逃げ出し、ゆつくりと動き出した右自動車の助手席に乗り込もうとし車内に片足を入れたが、完全には乗り切らないうちに同車にHらが追いつき、Kにおいて右手で右自動車の運転席側前部の窓枠を掴み左手を車内に差し入れて被告人Aの肩口を掴み、Hにおいて右自動車の助手席側中央部の窓枠などを掴み、被告人Aらを逮捕しようとしたため、被告人Aにおいて、Kに対しその左腕を掴んで振りほどこうとするなどの暴行を加えるとともに、K及びHを右自動車から振り切らんとして同車を加速した結果、Kをして足をもつれさせて路上に転倒させ、Hをして同車の助手席側中央部の窓枠などにしがみつかせたままの状態でその下肢を約一〇メートルにわたつて路面で引きずつた後路上に転倒させ、更に、同Aにおいて、同Bを車内に乗り込ませるべく同車を減速させたところ、同Bが再び追いかけて来たHに体を掴まれ車外に完全に引きずり出されたため、同車を停止させ同車から降りてHやLに押さえつけられた同Bを助けに行こうとした際、Kが向かつてきたため、同人に対しその胸部などを数回殴打及び足蹴りするなどの暴行を加え、右H及びKに対する各暴行により、Hに対し全治約一四日間を要する左側膝部打撲擦過傷及び右側膝部打撲傷の傷害を、Kに対し全治約九日間を要する左側前膊部打撲擦過傷、右側肘部打撲傷及び右側側胸部打撲傷の傷害をそれぞれ負わせ
第二 被告人Eは、A、C、D及びBらが共謀のうえ前記第一記載の犯行をなした際、あらかじめその情を知りながら、右犯行前の同年五月七日午後九時三〇分すぎころ前記のとおり勝本港において右Aらが右犯行のため使用する船として自己所有の漁船前記太平洋丸を同人らに貸与したほか、翌八日午前七時ころから同九時三〇分ころまでの間に、右Aの指示により、右Aらが待ち伏せのためなどに使うための漁船大西洋丸を右Bとともに操船して勝本港塩谷からタンス港まで廻航させ、右Aらが逃走に使うための普通乗用自動車を運転して右塩谷からタンス港岸壁付近まで回走させるなどし、もつて右Aらの前記犯行を容易にさせてこれを幇助し、
第三 被告人A及び同Bは、共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、前記第一記載の日時場所において、前記回転弾倉式拳銃及び自動装填式拳銃各一丁並びに火薬類である拳銃用実包七発(前同検領号の2及び72)を所持し
第四 被告人C及び同Dは、H、K及びLらと共謀のうえ、税関長の許可を受けないで同年五月八日午前五時三〇分ころ下県郡厳原町所在の豆酘灯台から西方約一七マイルの洋上において被告人Dの操船する漁船太平洋丸から船名不詳の韓国船に金地金七四・三二キログラム(鑑定価格二億五四三万九八八〇円)を積み替えて引渡しをなし、もつて右金地金を我国内から韓国内に密輸出し
第五 被告人Eは、C及びDが共謀のうえ、前記第四記載の犯行をなした際、あらかじめその情を知りながら、Cらから請われるまま、右犯行前の同年五月七日午後九時三〇分すぎころ、壱岐郡勝本町所在の勝本港において、C及びDに対し自己所有の漁船太平洋丸を貸与し、もつて前記密輸出の犯行を容易ならしめてこれを幇助したものである。
(証拠の標目)<省略>
(当事者の主張に対する判断)
一 被告人Eに対するH及びKに対する各強盗致傷の共謀共同正犯の訴因について各強盗致傷の幇助犯を認定した理由
検察官は、被告人Eの所為について強盗致傷のいわゆる共謀共同正犯に該当する旨主張するので検討するに、前掲各証拠によれば、
1 被告人Eは、昭和五九年四月二〇日ころA方において、被告人A、同C及び同Dによる強取計画の共同謀議の場に途中から同席し、同Aらから、強取計画を聞かされるとともに、実行当日に相手のHらと同人らの密輸出の荷を載せて密輸出の現場まで運ぶ手伝いをする船として同E所有の漁船太平洋丸を六〇万円位のチャーター料を分けてやるから貸すよう要請され犯行に加わるよう勧誘されて、これを承諾したこと
2 被告人Eは、右承諾をした当初、いつたんは被告人Aらの強取計画に積極的に加担してより多くの分け前をもらおうと考えたものの、しばらくして、同Aらに船を貸せば自分や家族の身にも危険が及ぶことになると考えて恐ろしくなり、数日後、被告人Cに対し船は貸せない旨伝え、更に、同月二三日ころには、被告人Aや同Cらも同人が強取計画の仲間から完全に離脱することを承諾し、その後は、同Aや同Cらも実行当日に使う船は被告人Eの船以外を使うことにして計画をすすめたこと
3 ところが、同年五月六日午後七時ころと翌七日午後二時すぎころの二回にわたつて被告人Cの許に入つたHからの連絡で、Hらが今回の密輸出には被告人Eの船(ジュラルミン製の船)を使いたいと考えていることがわかり、本件強盗の目的達成にはEの太平洋丸が不可決となつたため同Cと同Aは、急遽同Eから同船を借り受けることに決め、同Eを出漁先から呼び戻し、船を貸すよう執拗に要請し、渋る同Eからその承諾を強引に得てこれを借り受けたこと
4 被告人Eは、昭和五九年五月八日午前七時ころから午前九時三〇分ころまでの間に、同Aの指示を受けて、大西洋丸の回航や逃走用自動車の回送、襲撃の際の応援としてf会から派遣されてきた二名の迎えなどをして、同Aらの計画に協力したこと
5 しかしながら、被告人Eは、前記のとおり、強取計画の共同謀議には離脱前に一度しか加わつておらず、その際も、ただ被告人AらがHらから密輸出の際に二億円にものぼる金品を強取することを計画しているとだけ聞かされ、太平洋丸を貸すよう依頼されたにとどまり、強取計画の共同謀議自体にはほとんど関わつておらず、右の謀議の場では何ら積極的役割を果たすことがなかつたこと
6 被告人Aや同Cらは、同Eを当初より強取計画実行の当日にHらを乗せて密輸出の行為を行う際に使う船を借りる相手位にしか考えておらず、同Eに対する待遇も船のチャーター料として六〇万円位を支払うというもので、二億円にものぼる強取目的物に比して極めて僅少の報酬しか予定しておらず、また、強取計画自体の対等の仲間に加えて何らかの積極的な役割を分担させようと働きかけたことはほとんどなく、かえつて、昭和五九年四月二〇日に同Eから船を借りるについての承諾を得た際には、同Eに対し、強取計画自体は同人に関係ない、何があつても知らないで通せばいいとの趣旨を告げており、同Eと対等の立場で一体となつて強取計画を実行するとの認識はおよそなかつたこと
7 また、被告人Eは、前記のとおり、昭和五九年五月八日午前七時ころから午前九時三〇分ころまでの間被告人Aらの強取計画の実行に協力する役割を果たしたが、同Eのなした行為自体はいずれも極めて単純な機械的幇助行為にすぎないものであり、しかも、全て同Aに命ぜられるままその手足となつて行動したものであり、また、そのことで特に同Aらから報酬を約束されたわけでもなかつたこと
8 更に、被告人Eと同A、同C、同D及びFとのそれまでの関係から見ても、同Eにおいて、同Aらに特に影響力を及ぼしうるような関係にはおよそなかつたものであり、かえつて、同Cや同Aの世話を受けたことがあつたことなどから、同Cらに恩義があり、同人らの要請を無碍には断われない弱い立場にあつたこと
などの各事実が認められる。
ところで、共同正犯関係が成立するには、二人以上の者が相互の意思連絡の下に対等な行為主体として一体となり、互いに自己の役割を分担し合つて遂行し、かつ、他人の役割分担行為を実質的にも支配又は利用し合つて、各自の犯罪意思を実行に移し、もつて特定の犯罪を共同で実行したと認められることが必要であり、特定の犯罪の共同謀議に参加した者が、直接実行行為に関与しなかつた場合に、いわゆる共謀共同正犯としてなお正犯者としての責任を負うためには、当該共同謀議の結果、各当事者間に互いに相手の行為を利用し合う実質的な一体的相互利用関係が形成されるとともに、当該謀議参加者において、実行行為こそ分担してはいないものの、当該犯罪の計画及び準備段階から最終的な実行段階までの全体の犯罪遂行過程を通して見たとき、自らも当該犯罪遂行の対等又は対等以上の行為主体として加功し、かつ、実行行為者の行為と等価的と評価される重要な役割を自己の分担した行為によつて果たしていると認められる場合(等価的分担関係が存在する場合)であるか、若しくは、当該謀議参加者において、他人である実行行為者の行為を自己の手段として実質的にも支配又は利用して当該犯罪を共に実行したと認められる場合、即ち、当該謀議参加者において、自らも当該犯罪遂行の対等又は対等以上の行為主体として加功し、かつ、共同謀議などの際において、自ら又は他人を介して、実行行為者に対し当該犯罪の実行を自己に代わつて遂行するよう指揮命令又は委託し、あるいは、利益誘導などの方法で誘導するなど自らの意思に従つて支配又は利用すべく働きかけの行為を為し、その結果、当該実行行為者をして自らの代行者として実行行為の遂行をなすことを事実上引受けせしめ、その引受に基いて当該実行行為者をして当該犯罪を実行せしめたと認められる場合(実質的支配又は利用関係が存在する場合)であることが必要と解すべきである(最大判昭三三・五・二八刑集一二・八・一七一八(練馬事件判決)は、共謀共同正犯の成立には「特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする」共同謀議の存在が必要である旨述べているところ、右の共同謀議の内容として重要であるのは、もとより主観的な意思連絡の内容自体ではなく、かかる謀議によつて形成された実質的な一体的相互利用関係(当該謀議参加者が実行行為者との関係で格別の役割を分担していない場合には、むしろ実行行為者に対する支配又は利用関係としてとらえるべきである。)の存在であると解すべきであり、その実質的な一体的相互利用関係が当該謀議参加者自らの正犯行為たる行為に基いて形成されたものである場合にはじめて、当該謀議参加者の共同正犯者としての責任を肯定しうるものであり、かかる見地は、近代刑法における個人責任及び行為責任の各原則に基づく当然の論理的帰結である。)。
右の見地よりすれば、被告人Eの本件強盗致傷の犯行に対する関与度合は、同A、同C、同D、同B及びFら他の共謀者のそれに比して著しく低い程度にとどまつているうえ、終始専ら同Aや同Cらに一方的に従属した関係にあつて、単純な機械的幇助行為を分担したにとどまり、また、強取計画の実行を同Aらに委託するなどして自らの代りにこれをなさしめるなどの関係にはおよそなく、右犯行によつて受ける利益の分配も、自己所有の船を密輸出に使用するために提供したことによるチャーター料の六〇万円位のみしか約束されていなかつたものであり、しかも、右約束もEの共謀関係からの離脱により反古となり、その後実質的に共同実行意思が形成された事実も認められないので、共謀共同正犯として認めるに足る実質的な相互利用関係の存在はおよそ認められず、その責任は幇助犯たるにとどまるというべきである。
二 判示第一の犯行におけるFとの共謀の認定について
弁護人らは、判示第一の犯行についてFとの共謀の事実はなく、Fはいわゆる共謀共同正犯には該らない旨主張し、被告人Eを除くその余の被告人らも同様の主張をするので検討するに、前掲各証拠によれば、
1 Fは、昭和五九年四月一日ころには、被告人A、同C及び同Dとともに、強取計画について共同謀議をなし、その後も、被告人Aと電話等で緊密に連絡をとり、強取計画の謀議に積極的に関与し、強取の目的物を何にするか、襲撃場所をどこにするかなどについても自ら積極的に意見を出し、あるいは、同Aや同Dらとともに呼子港へ同港が襲撃場所として適当かを確認するため下見に行くなどし、同Aらに対し対等以上の影響力を及ぼしたこと
2 Fは、昭和五九年四月一日ころの右謀議の際、被告人Aらより、強取計画を聞かされ襲撃や襲撃後の身の安全の確保のためにf会の力を貸してくれるよう要請されてこれを承諾し、前示認定のとおり、強取計画に対する全面的な協力を約し、実際にも、前示認定のとおり、その協力をなしたこと
3 Fによる右協力の約束とその履行は、相手のHらの背後に暴力団組織がついていたり、同人ら自身が拳銃を所持していたりするかも知れないとの恐れを抱いていた被告人Aらが強取計画の実行を決意するのをほとんど決定づけたともいうべき極めて重要な影響力をもつていたものであり、F自身そのことを十分承知し、さればこそ、同Aらとの間で分け前として全体の儲けの半分を自分がもらうことで了解し合つていたものであること
4 F自身こそ襲撃には参加していないものの、f会の幹事長補佐である被告人Bを同Aの要請を受けて同Aに協力するよう差し向けたのはFであり、更に、襲撃当日も襲撃の際の応援としてf会の構成員二名を派遣するなどf会の配下の者を指揮することによつて同Aらと対等以上の重要な役割を分担して果たしたこと
5 本件強取計画の首謀者である被告人Aも、もともとはFの舎弟であり、それまでの関係から見てもFは同Aらに対し多大な影響力を行使しうる関係にあつたこと
などの各事実が認められるところ、以上の事実に照らすと、判示第一の犯行の計画当初から最終的な実行までの全遂行過程を通して見るとき、Fは、被告人Aらと同等以上の重要な役割を分担して遂行していることが明らかであり、弁護人らの右主張は理由がない。
三 判示第一の犯行における致傷の認定について
弁護人らは、判示第一の犯行の際、被告人AはHやKに対し何ら暴行を加えてはおらず、HやKの各傷害は同Aらの行為によつて生じたものではない旨主張し、同Aや同Bも同様の主張及び供述をするので検討する。
まず、被告人Aにおいて、自ら運転する逃走用自動車の窓枠などにしがみついてきたKやHに対し、これを振り切るため同車を加速するという暴行を加えた結果、Hをして右自動車の窓枠などにしがみつかせたままの状態でその足を路面で約一〇メートルにわたつて引きずつたうえ転倒させ、その際、判示認定の傷害を負わせたとの事実については、第四回公判調書中の証人H及び同Lの各供述部分が存在するところ、被告人A自身も昭和五九年六月一日付検察官に対する供述調書中において、相手方の男の誰かが右自動車の運転席側の窓枠にしがみついてきたのでそれを振り切るために同車を加速したところ、その窓枠にしがみついていた男の姿が見えなくなつた旨の供述をしており、その供述内容は具体的で格別不自然不合理な点は窺われず、第四回及び第五回公判調書中の証人Kの供述部分とほぼ合致するものであること、被告人Dも、当公判廷において、太平洋丸の甲板上から一〇〇メートル以内くらいの距離で被告人Aの運転する右自動車の方を見ていたところ、最初その運転席側ではKが後部ドアの窓枠あたりを左手で握りながら同車について走つていた、助手席側に目をやると被告人Bが右自動車に追いついてその助手席に乗り込もうとしたが乗り切れず、助手席の開いたドアと自動車の間で同車と一緒に並行して走つているような状態となり、また、相手のHも同Bのすぐ後ろについて同車と並行して走つており、同Bの腰のあたりを掴んでいるような状態であり、LはそのHのすぐ後方について走つており、同Bを含む三人が団子状態となつて見えたが、最後の方では同Bが助手席のドアにぶら下がるような状態になり、最終的にはHに体を掴まれて引き倒されるようにして転倒した旨供述し、KやHが右自動車に追いついてその両側を並走し同車の窓枠や被告人Bの体などに掴みかかつて同車を停車させようと奮闘した状態があつたことを認めていること、Hの受傷の部位、程度から見ると、証人Hの供述どおり、その左側膝部の傷害は、Hが右自動車などにしがみついたままの状態で足を路面で引きずられた結果受けたものと見ることに、他方、右側膝部の傷害は、転倒によつて受けたものと見ることにそれぞれ十分な合理性が窺われ、いずれも、Hが右自動車に引きずられ、あるいは、その結果転倒し、その際に受傷したものと考える以外、他に受傷の機会があつたとはおよそ考え難く、その形跡も全く窺われないこと、証人H、同K及び同Lの各供述は相互に食い違う点が少なからずあるものの、少なくとも右受傷の経緯に関する点においては大筋において合致しており、整合性に欠けることはないと認められることなどからすると、右証人H及び同Lの各供述部分の信用性は高いというべきであり、被告人Aの前記否認供述は到底措信できないところである。
次に、被告人AがKに対して加えた、同人が車内に左手を差し入れてきた際にその左腕を掴んで力を加え無理やり振りほどこうとした暴行と、車外に出てから向かつてきた同人の胸部などを数回殴打及び足蹴りした暴行の各事実については、前者の暴行につき前記Kの供述部分が、後者の暴行につき同K及び前記Hの各供述部分がそれぞれ存在するところ、被告人Aは捜査段階よりほぼ一貫して右各暴行の事実を否認し、前者についてはKから車内に片手を差し入れられて体をつかまれたことはなかつた旨、後者については車から降りてすぐにKが手に石を持つて殴りかかつてきたが、「貴様何んか」などと一喝し手拳を振り上げたところ、同人は恐れをなして殴りかかるのをやめた旨それぞれ供述している。しかしながら、右Kの証言は、具体的で格別不自然不合理な点も窺われないうえ、受傷の部位、程度から見ると、その証言のとおり、左側前膊部の傷害は力づくで掴まれてひねられるなどした際に受けたものと見ることに、右側肘部や右側側胸部の傷害は殴打や足蹴りを受けて生じたものと見ることにそれぞれ十分な合理性が窺われること、Kが判示第一の犯行の際に受傷しうる機会としては、右自動車にしがみついてもみあつた際と被告人Aが車外に出てきた際に殴りかかつていき同人と対峙した際以外には、他に右自動車が加速した結果足をもつれさせて転倒した際位しか考えることができないところ、そのいずれの場合に受けた傷害にせよ、被告人Aの暴行の結果受けたものであることに差異はないうえ、左側前膊部の傷害はその部位、程度からして転倒や殴打又は足蹴りによつて生じたものとは考え難く、右側側胸部の傷害にしてもその部位からして転倒によつて生じたものと見るには不自然であり、右側肘部の傷害にしても、K自身右転倒は足をもつれさせて転んだ程度で、しかも、下は土面であつたからその際にはどこも怪我はしなかつた旨証言していることからすれば、殴打や足蹴りによつて生じたものと見るのが自然であること、被告人Aの供述のうち、後者の否認については、走り出した自動車にさえしがみついて追いかけていたKが一喝されて威嚇された位で尻込みをして引き下がつたということ自体不自然であることなどからすると、右KやHの各供述部分の信用性は高いというべきであり、被告人Aの右供述部分は措信できないものである。
(被告人Bの累犯前科)
被告人Bは、(1)昭和五五年五月一三日福岡地方裁判所で暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役八月に処せられ、同年一二月一三日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した出入国管理及び難民認定法違反幇助の罪により昭和五七年六月二二日同地方裁判所で懲役八月に処せられ、同年一二月一一日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右各事実は被告人Bの司法警察員に対する供述調書、検察事務官作成の昭和五九年五月一九日付前科調書及び判決書謄本二通(乙59及び61)によつてこれを認める。
(法令の適用)
被告人A、同D、同C及び同Bの判示第一の所為のうち、H及びKに対する各強盗致傷の点はいずれも刑法六〇条、二四〇条前段に、被告人Eの判示第二の所為のうち、H及びKに対する各強盗致傷幇助の点はいずれも同法六二条一項、二四〇条前段に、被告人A及び同Bの判示第三の所為のうち、拳銃を所持した点はいずれも同法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、実包を所持した点はいずれも刑法六〇条、火薬類取締法五九条第二号、二一条に、被告人D及び同Cの判示第四の所為はいずれも刑法六〇条、関税法一一一条一項に、被告人Eの判示第五の所為は刑法六二条一項、関税法一一一条一項にそれぞれ該当するところ、各所定刑中被告人A、同D、同C及び同Bの判示第一の各罪についていずれも有期懲役刑を、被告人A及び同Bの判示第三の銃砲刀剣類所持等取締法違反及び火薬類取締法違反の各罪は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の刑で処断すべくその所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人Eの判示第二の各強盗致傷幇助及び第五の関税法違反幇助の各罪は、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重いHに対する強盗致傷幇助の罪の刑で処断すべくその所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人D及び同Cの判示第四の罪についていずれも懲役刑を選択し、被告人Bについては前記の各前科があるので、判示第一の各罪及び第三の罪について刑法五九条、五六条一項、五七条により、判示第一の各罪については同法一四条の制限内で、それぞれ三犯の加重をし、被告人Eの右強盗致傷幇助の罪は従犯であるから同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をし、以上のうち、被告人A及び同Bについては判示第一の各罪及び第三の罪が、被告人D及び同Cについては判示第一の各罪及び第四の罪が、いずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条によりいずれも最も重い判示第一のHに対する強盗致傷罪の刑に、被告人A及び同Bについては同法一四条の、被告人D、同Cについては同法四七条但書の各制限内で、それぞれ法定の加重をし、被告人D、同C及び同Eについてはいずれもその犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用してそれぞれ酌量減軽をした刑期の範囲内で、被告人Aを懲役九年に、同Bを懲役八年に、同Cを懲役六年に、同Dを懲役五年に、同Eを懲役三年にそれぞれ処し、同法二一条を適用して被告人らに対し未決匂留日数のうち各三七〇日をそれぞれ右の各刑に算入することとし、被告人Eについては情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右の刑の執行を猶予し、なお同法二五条の二第一項前段により同Eを右猶予の期間中保護観察に付し、押収してある回転弾倉式拳銃一丁(昭和五九年押第五四号の1)及び自動装填式拳銃一丁(同号の3)並びに長崎地方検察庁佐世保支部で保管中の実包六発(昭和五九年検領第二五九号の2)及び実包一発(同号の72)は判示第一の強盗致傷の犯罪行為の用に供したもので犯人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項を適用して被告人A及び同Bからこれらを没収し、同検察庁支部で保管中の漁船太平洋丸一艘(前同検領号の16)は被告人Eの判示第五の密輸出幇助の犯罪行為の用に供した物で犯人の所有するものであるから関税法一一八条一項により被告人Eからこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人ら全員に連帯して負担させることとする。
(量刑の理由)
本件各犯行のうち、判示第一、第二の強盗致傷、同幇助の各犯行は、暴力団組織を背景にして周到かつ綿密な計画と準備のうえ敢行された集団による二億円を超える巨額の現金強奪の事案であり、その襲撃には実包を装填した拳銃二丁が威嚇のため使用されるなどその犯行態様は極めて凶悪かつ大胆な反社会的なものであり、社会の平穏を著しく脅かし、市民に重大な不安と衝撃を与えたものであること、各被告人らの犯行動機を見ても専ら利欲的動機のみに走つたものであつてそれらの動機において酌量すべき余地はなく、現実にも被告人らの共謀共同正犯者であるFにおいて現金約九〇〇〇万円もの巨額の不正の利得を得て、これが暴力団組織に流れているものとみられること、この種凶悪事犯を抑止する一般予防の必要性も大きいことなどに鑑みると、右犯行による被害者らの傷害が幸いにして軽微なものにとどまつたことなど被告人らに有利な諸般の事情を考慮してもなお、被告人らの刑責は極めて重大と言わねばならない。
更に、被告人ら各自を個別的に検討するに、被告人Aは、判示第一の強盗致傷の犯行の首謀者であり、その犯行に他の被告人らを引き込み、全遂行過程において終始指導的役割を果たしていたものであり、犯情極めて悪質である。加えて、同被告人は、傷害や暴力行為等処罰に関する法律違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反などの各罪による罰金前科七犯、傷害や恐喝、覚せい剤取締法違反の各罪による懲役前科三犯(いずれも執行猶予付)を有し、判示第一の犯行の直前ころの昭和五九年三月一七日には長崎地方裁判所壱岐支部で右覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年六月、執行猶予五年保護観察付の判決を受け、右犯行当時執行猶予中であつたものであり、暴力的犯罪の常習者とも言いうるものであつて、暴力団組織関係者との親交が深く、本件の共謀共同正犯者であるf会会長Fの舎弟分となつていたことなどを併せ鑑みると、その犯罪性向は社会防衛上黙視しえない程度に達していると言わざるをえず、同被告人に有利な諸般の事情を考慮してもなお、その刑責は重大である。
被告人Bは、被告人Aの依頼と自己が属するf会の会長Fの意向を受けて、被告人Aらの強盗計画に途中から参画し、判示第一の犯行に加功したものであるが、襲撃の際には被告人Aと全く同等の役割を果たしているうえ、同被告人は、前記各前科のほか、傷害や恐喝、暴力行為等処罰に関する法律違反などの各罪による懲役前科七犯などを有し、二〇歳のころより服役をくり返していたものであり、前記f会の幹部構成員となつており、本件各犯行もその構成員としての立場から加功したものであることなどに鑑みると、その暴力的犯罪傾向は極めて高く、常習性は顕著であり、犯情は極めて悪質と言うほかなく、同被告人に有利な諸般の事情を考慮してもなお、その刑責は重大である。
被告人Cは、判示第一の強盗致傷の犯行の際、分担した役割の違いなどから、暴行や脅迫行為自体はなさなかつたとは言え、その計画の当初より、被害者らの密輸出行為に関する情報を提供して積極的に加功し、極めて重要な役割を果たし、利得の分配についても被告人Aと同等の割合が約束されていたものであり、犯情悪質であり、加えて、同被告人は、業務上過失傷害や海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律違反などの各罪による罰金前科二犯のほか、封印破棄の罪による執行猶予付懲役前科一犯を有し、規範無視の態度も相当程度認められるうえ、本件各犯行前の生活は酒に溺れた自堕落な状態にあつたものであり、判示第四の関税法違反の犯行もこれが一回限りのものではなく、約二か月前より数回にわたつて反復して利得を得ていたものであり、その経緯も利欲的動機から自ら進んで密輸出の依頼者を探してこれに加功したものであつて、この面からも犯情は悪質である。しかしながら、強盗致傷の犯行においては被害者らの傷害が軽微であり、また、被告人C自身は被告人Aとの関係を除き暴力団組織関係者との直接の交友はなく、これまで右各前科はあるものの、船舶電気機械の販売修理を行うC電機店を経営して就労してきたものであり、その犯罪性向は必ずしも高いものとは認められないことなど同被告人に有利な諸般の事情を考慮すれば、酌量減軽をするのが相当である。
被告人Dは、判示第一の強盗致傷の犯行については、被告人Cと同様分担した役割の違いなどから暴行や脅迫行為自体こそなさなかつたが、その計画の当初から被告人Aから多額の分け前を約束されたことにより、同Aに指示されるまま半ばその手足となつて終始積極的に加功し、右犯罪遂行に極めて重要な役割を果たしながら、その犯行の重大さに思いをいたした形跡がほとんど見受けられないことなどに鑑みると、その犯情は悪質である。しかしながら、同被告人にはこれまで前科もなく、被告人Aとの関係を除き暴力団組織関係者との直接の交友もなく、本件各犯行については深く反省し、更生を固く誓つていることなど同被告人に有利な諸般の事情を考慮すれば、酌量減軽をするのが相当である。
被告人Eは、判示第二の強盗致傷幇助の犯行については、利欲的動機や被告人A及び同Cに対する恩義から同Aらの強盗計画に加功することを一度承諾しながら、事の重大さと被害者らによる報復に対する不安と恐れからいつたんは右承諾を撤回して右計画から完全に離脱していたところ、再度被告人A及び同Cから右計画に自己所有の漁船「太平洋丸」を貸してくれるよう懇請され、不本意ながらもこれを承諾し、その後は自分の船を使わせる以上はより多くの分け前をもらわねば割が合わないと考え、被告人Aの指示に忠実に従つて積極的に幇助行為をなし、右犯行後も被告人Aらと行動をともにしていたものであり、判示第五の関税法違反幇助の犯行についても、密輸出への加功はこれが一回限りのものではなく、それまでに被告人Cに誘われて一度密輸出行為自体に共同加功して報酬を得ていたものであり、いずれも犯情悪質である。しかしながら、同被告人には、これまで前科前歴は全くなく、真面目に漁業に就労していたものであり、本件各犯行についても日頃から経済的援助や恩義を受けていた被告人Cや同Aによる誘いを受けて引きこまれた立場にあるうえ、本件各犯行の重大性を認識し深く反省している態度も認められ、また、多額の資金を投資して建造した漁船「太平洋丸」が没収されることによつて相当な制裁を受けるに至ること、これまで五〇〇日余にわたつて未決勾留をされていることなど同被告人に有利な諸般の事情を考慮すれば、今回に限つては刑の執行を猶予し、社会内で改善更生の機会を与えるとともに、右猶予の期間中保護観察に付するのが相当である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官吉永忠 裁判官伊藤新一郎 裁判官田近年則)